日記(2020/11/06)あるいは僕が深夜に救急車を呼んだ話

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この週記に組み込むには文章量が多くなりすぎたので、ここだけ分割する。

11/06(金)ICPC国内予選後、打ち上げをした後から

かなり酔っぱらっていたが、ゲームセンターに寄ってチュウニズムをプレイした。有り金をほとんど使いきって、終電もなくなっていたので徒歩で帰った。

帰ってきて2時間くらい人の参加記を読んだりコードゴルフをしていたところ、午前3時半ごろに腹が痛み出す。腹を壊した感じの痛みではない。一気につらくなってきたので、さっきまで眠気もあったことだし、とりあえず寝ようと布団に向かう。それ以外のことができるような余裕はないため、トイレにも行けないしエアコンも消せない。

一応就寝報告をするが、横になっても一向に腹の痛みが治まらない。体勢をいろいろ試すもどれも効果なし。10分くらい耐えて、適当に唸り声をツイートした後必死に目をつむっていた。こんな状況下でもTwitterをしているのは、ありていに言ってしまえば心細いからだと思う。

この後30分くらいは何も覚えていないので、少し眠っていたのかもしれない。午前4時20分くらいに再度耐えかねて意識を取り戻す。またツイートをするが、今度はフリック入力に気を遣う余裕がない。とりあえず出すもの出したら落ち着くかと思ってトイレに行ったが、便も固形だし何も目に見える異常はなかった。トイレから帰ってきて、ベッドに横になるのもつらい。救急車を呼ぶことにした。

119番をして住所を伝える。2分半ほど通話して、切れてから救急隊が到着するまでしばらく時間がある。どれくらいかはわからない。横になれないのでベッドに座り込んだ状態で待っていたが、このあたりで腹痛がピークを迎える。吐き気がしてくる。吐いたら楽になると思ってトイレに駆け込むが、いくらえずいても痰しか出なかった。吐くことに慣れていないせいかもしれない。思い切り力んだ結果喉の筋肉が痛んだ。

トイレでえずいている間に救急隊が到着した。アパートの玄関までストレッチャーが来ようとしていたが、何とか歩けるようなので、歩いて救急車に乗る。このあたりでたぶん腹痛のピークは過ぎていて、上着を着たり靴下を履いたりするほどの余裕があった。携帯・財布・家の鍵を持って出た。

救急車に乗って、母親に連絡する。寝起きの母に腹痛で救急車を呼んだことを伝え、救急隊の人に代わる。救急隊の人はしばらく話した後再度こちらに携帯を渡してきたので、すでに少し楽になっていることを伝える。母は「最近腹が痛いってツイートしてばっかりだったから、この機会に検査してもらってきなさい」と言っていた。

腹のあたりを数か所触られて、どのあたりが痛むか聞かれる。臍の真上を触られたときに少し痛みが来た。カルテ作成でいくつか質問に答えたのだが、一番ひどかった痛みを10として今いくつくらいですか?と聞かれた。3であると答えた。もうここまで収まると普通の痛みと何ら変わりないので、救急車に乗っている状況を確認してかなり大げさなことをしてしまったという意識が芽生える。

救急車をタクシー代わりにする人の話とか、逆にずいぶん長く耐えてしまって状態が悪化した人の話とか、いろいろ思い浮かぶ。十数分前の自分は確かに耐えきれない痛みに襲われていたはずなのだが、そのことを証明できない。呼ばなくてよい救急車を呼んでしまったのでは?という罪悪感は今も消えていない。こういうことをツイートすると、当然「何があるかわからないので呼ぶのが正解」というリプライが届く。理性的には僕も納得して、必要な救急車であると結論付けることができるが、実際腹の痛みが治まっている状態で救急車で運ばれる間のいたたまれなさはたぶん今後ずっと頭の片隅に残るだろう。

病院に到着して治療室に入る。自力でストレッチャーからベッドに移る。体温と脈拍を測定される。医師が部屋に入ってきて、救急隊の人と話した後にパソコンのモニタを眺めている。医師の指示で看護師が採血し、僕に点滴を打った。

いくつか質問をされる。夜何をしていたか、夕食は何か、お酒を呑んだか。焼き肉を食べたとのことだが、生焼けの肉はなかったか。あまり気にしていなかったため、わからないと回答した。便は出ているか、状態はどうだったか。あとは、救急車の中で聞かれたのと同様、ピークの痛みを10としたとき今いくつであるか?という質問をされた。この時点でほとんど痛みはない。1であると答えた。

聴診器で少し調べた後、腹部エコー検査を受けた。体勢を横にしたり戻ったりといった動きをしてもほとんど痛みはなくなっている。尿検査ができないか聞かれたが、先ほど出したばかりなので出ないと答える。

血液検査の結果が出たらしい。医師から診断を説明される。まず便に異常がないとのことから腸の問題ではないことがわかる。血液検査の結果から腎臓にも異常がないことがわかる。昨夜焼き肉を食べたらしいので、急性胃炎である確率が高いが、尿検査をしていないので尿路結石も否定できないようだ。

尿検査をしてもよいが、どうするか聞かれる。尿も少しは出そうなので、「検査をしてもらいなさい」との母の言葉を思い出して、してもらうことにする。トイレに移動して尿を取る。検査結果が出るまでしばらく待ち時間がある。

医師は部屋を出て行って、看護師と2人で待っている。腹の痛みはほとんどない。自分で臍の上を押すと、少しだけ痛みがぶり返すようだが、逆にそれだけでしかない。眠気も襲ってきたが、さすがにこの状況下で寝てしまうのは不誠実にすぎるだろうと必死に目を開けていた。

結局尿に血液が混ざっていたということもなかったようで、急性胃炎という診断になった。痛み止めを処方されて、帰宅することになった。支払いについては、いくらか前払いをした後に後日改めて支払いに来る必要があるらしい。ここで、ちょうど昨夜ゲーセンで所持金をほぼゼロにしていたことを思い出さなければならない。前払いができないどころか、帰宅のためのタクシーを呼ぶ代金すらない。幸い病院は国分町にあって、そこから僕の部屋(川内キャンパスの近くである)へはあまり距離もないので、僕は歩いて帰る気でいた。医師は救急車で来たのでできればタクシーで帰ってほしいといったことを言っていたが、無い袖は振れない。

保険証と免許証のコピーを取ってもらう。向こうは「あなたのことを信用するので、月曜日必ず支払いに来てください」と言っていた。どういう基準で信用しているのだろう。僕は自身の外見について、第一印象が悪くなるようなものであるとは思っていない。あとは東北大生という肩書も関係するのだろうか。どれくらい現金を用意していけばいいか聞こうとしたが、その時近くにいた人は医師ではないためわからないらしい。2万円くらいかなあと言っていた。正直ちょっとびっくりしたが、そのあと父も同じくらいの予想を立てていたため、そういうものなのかと学んだ。夜中の対応であったことも関係しているらしい。

夜間通用口から外に出る。午前6時半、もうすっかり朝である。秋のパジャマに上着を着ているだけで、足元がかなり寒い。裏通りからだと自分がどこにいるかわからなかったが、病院の表玄関のほうに回ると見知った道路が現れた。ドン・キホーテのすぐ近くに病院があったようだ。まさかここにお世話になるとは……。

人通りが少ないうちに歩いて帰った。

考察

ストレスか食あたりだと思っている。

ストレスに関しては、まあたまっていることは否定できないだろう。そもそもレートが下がると精神はだんだん病んでいく。またそれとは別に、オープンな場所では言えないようなお気持ちを少しばかり腹に抱えている。鍵アカウントを作るつもりはないので、このあたりを一気に解消する方法はなさそう。適切に社会性フィルターをかけて放出していきたい。

食あたりに関しては、まあどう考えても焼肉だろう。生焼けの肉を食べたかもしれない。あとは、生肉を網に移したのと同じトングで焼けた肉を皿に移すのもいけない。知ってはいたのだが、自分がこれにやられることはないだろうと思ってこの日も特に頓着していなかった。

関連ツイート

このあたりでいくつかうめいているだけのツイートが挟まる。